使えない善意


 最初に顔を見た時はしてやったりの気分だったんだ。

 瞠目して瞳を瞬かせる…そんな様子など一度たりとも見た覚えは無い。七年前から今に至るまで、年月は目つきを悪くこそすれ驚愕に彩られたことなど無かった。
 もっともそれは僕に対してだけで、他の(例えばお嬢ちゃん)などと対する時には違っていたのかもしれないけれど。

 
 
 待ち合わせ場所に現れたバイクに、成歩堂は軽く手を振った。
 合衆国で良く見られるクルーザータイプの大型バイクは速度を落とす事なく、まるで成歩堂を轢き殺す勢いで走り込み、止まる。ヘッドライトにまともに照らされても成歩堂は微かに目を細めただけ、特に思うところもないようだった。
 都心に近い地下駐車場。地下街から出れば、繁華街そんな立地。
 打ち放しのコンクリートが剥き出しになり、お世辞にも綺麗とは言い難い。しかし駐車料金も莫迦にはならない場所なのに、駐車料金は一晩500円ぽっきりだと勧められた場所だ。破格も良いところだ。
 胡散臭いのも含めて、成歩堂の顔で借りられるらしい。
「意外と早かったね、響也くん。」
「全く、アンタはどうして人の予定とか気にしないんだろね。」
 閉塞された空間に低いエンジン音が響く。フルフェイスのメットを、親指でシールドだけ持ち上げ、響也は男の格好に眉を潜めた。

 日中は30度を超す真夏日が続いていた。夜になったとはいえ、蒸し暑い事に変わりはない。なのに、成歩堂はパーカーを脱いだだけ暑苦しいニット帽子はそのままだ。
『トレードマークは年中無休なんですよ。』
 と魔術師の娘が言うものだから、周囲の人間でそれに突っ込みを入れる人間は少ない。毒舌を誇る新米弁護士も見て見ぬフリを決め込んでいる。

「そろそろ煮詰まって来てるんじゃあないかと思ってね。何というか、老婆心だよ。」
 成歩堂はにやりと笑って、季節外れのニット帽を片手でずらす。
「ご冗談を。そんな格好じゃ、奢りのビールはさぞ美味いだろうね。」
「紐扱いは心外だなぁ。」
 はっはっと肩を揺らして笑えば、胸元のペンダントがちゃりと音を立てた。彼の大切な娘の写真が入っていることは、響也も知っていた。
「そういう台詞は割り勘にした時に口にしてもらいたいね。…そこどいて停めるから。」
「はい、はい。」 
 二回の返事は、嘘の証拠。そんなコマーシャルを思い出して、響也は呆れたように溜息を吐いた。メットの中に留まった息は、尚更に熱さを感じさせてウンザリする。
 カウルが無いだけエンジンの放射熱は当たらないものの、やはり暑い。
 ひょこひょこと成歩堂が横にずれるのを見計らって、タイヤを滑らせ回転させる。普通車と同じ駐車スペースにピタリと停めると、エンジンを切った。サイドスタンドをたてると重量感のある重い音でバイクが軋む。

「上手いもんだね。」

 感心したように笑う成歩堂に、僅かに自尊心を刺激されるも調子にのってはこの男のペースだ。努めて気にしないように心掛けながら、響也はヘルメットに手をかけた。
「褒めても何にも出ないよ。」
 そんな言葉を口にしながら、響也の細くて長い指が顎に固定していたベルトを外していく。滑らかな動きに、成歩堂の瞳が細められた。
 些細な仕草すらこの青年には艶がある。それが、芸能人としての彼の地位を支えていたのだろうことは容易に推測出来た。
 それに、成歩堂は響也がメットを外す瞬間を気に入っている。それまで隠されていた端正な貌が現れるのと当時に、光沢を帯びた絹のような髪がメットから肩に零れ落ちていくのは、比喩を抜きにして綺麗だったのだ。

 しかし、成歩堂は瞠目したまま動きを止める。

「…響也くん、髪切ったの?」
 片手でメットを持ち、サイドのロックを外す響也の襟足に髪はない。メットを取り付けて振り返る。肩から上にばっさりと切り揃えられた髪は、どうにも響也の顔を幼く見せた。

 そうもっと昔の。

「バンド活動も止めたし、それに、暑いだろ?」
 襟足で跳ねている薄い色の髪を指に絡ませて、響也はにやりと笑った。


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